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マルティン・ルターの生涯② 

聖アウグスチノ修道会での修道院生活
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 アウグスティヌスは五世紀に中世西欧社会の思想的基礎を築いた神学者で彼が作った会規に基づく修道会にマルティン・ルターは入ります。
 当時の修道会での生活は毎朝二時に起きて、まだ暗い深夜に最初の礼拝をし、瞑想をし、祈り、一日に六回の礼拝を繰り返す日々で、冬には暖房などもなく、清貧そのもので、個人の時間というものは全く無い生活でした。マルティン・ルターは、この修道生活も熱心に勤め、長い祈りもささげましたが、しかし、自分はそこで安息を得ることはできなかったと語っています。マルティン・ルターは、神の前に立つとあまりに小さく弱い自分を感じ、熱心に修道生活を励み、祈りをささげ、罪を悔い改めようとしても、ますます自分の弱さを感じざるを得ずに、どこにも慰めや恵みを見出すことができず、修道院の生活の中で自分の内面の葛藤が続きました。
 しかし、マルティン・ルターは、この修道生活の中で、十四世紀の神学者であり哲学者であったウィリアム・オッカムの「人間は信仰によってのみ、神学的真理に到達できる」という考えや「信仰と理性は矛盾せず、科学のみが神を存在論的必然とみなすことができるが、人間の理性は神の存在や魂の不滅性などを証明することができない。ただ神の啓示のみによって知られ、これを理性が知るのである」という考えに出会い、刺激されていくのです。
 マルティン・ルターの内的な葛藤は続いたままでしたが、彼は二十三歳で司祭となり、修道院での生活を続けながら創設されたウィッテンベルグ大学で哲学と神学の講座を担当するようになっていきます。そして、修道会の指示でローマまで旅行したりしましたが、彼の内的葛藤の解決の糸口を見出すことができないまま、ウィッテンベルグ大学で博士号を取得して、聖書注解講義を始めて行きます。こうして『ローマの信徒への手紙』の注解を始めた頃、マルティン・ルターはそこに示される「神の義」という概念に出会っていきます。それは、「人間は善行によってではなく、ただ『信仰のみ(sola fide)」によって、神から「義」とされ、それはまったく「神の恵みのみ(sola gratia)」によるものである』」との「義」の理解でした。マルティン・ルターは著書『ローマ書 序言』の中で、「信仰とは、神の恵みに対する、生きた大胆な信頼である」と語っていますが、人間の行為から神の恵みへの大転換がなされていくことと語ります。これが彼の神学の中心になります。人間の行為ではなく、キリストにおいて与えられる神の恵みへの大胆な信頼、それがルターの新しい始まりとなっていったのです。
これらのことをマルティン・ルターはウィッテンベルグ大学の学生寮の塔にある図書室で行なったことから「塔の体験」と呼ばれます。塔の階段を人間が一段ずつ下から昇って行くのではなく、塔頂から降ろされた神の恵みによって引き上げられていくこと、それがマルティン・ルターが見出したことだったのでしょう。

カテゴリ: マルティン・ルター、ルーテル教会

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マルティン・ルターの生涯① 

ルターの生涯
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 マルティン・ルターは1483年にドイツのザクセン地方のアイスレーベンという小さな村で父ハンス・ルターと母マルガレータ夫妻の次男として生まれました。アイスレーベンはとても小さな貧しい村でマルティン・ルターがここで生まれ、最後にはこの村で亡くなりました。
 銅鉱山で働く父ハンスは、懸命に働いて、やがて成功して、溶鉱炉を四つも持つ鉱山経営者となり、人々の信望も厚く、町の参議にまでなっていきます。彼は社会的な上昇志向が強く、それだけに子どもたちにかける期待も大きくて、厳格な教育をしていきます。父ハンスは子どもたちには最高の教育をさせたいと願っていたと言われます。
 マルティン・ルターは、父の願い通り、五歳でマンスフェルトのラテン語学校に入ります。彼は熱心に勉学に励み、十四歳で大都市の学校に入り、更に勉強に励みます。人格者の教師との出会いがあったり、豪商の夫人であるコッタという人に認められて、彼女の知人から音楽を学んだとも言われています。マルティン・ルターの音楽への関心はこれ以後持ち続けられています。
 やがてマルティン・ルターは、十八歳の時に、ドイツでも最も古くて有名だったエアフルト大学に入学します。ここで哲学をはじめとする勉学に熱心に励み、優秀な成績を収め、事業が軌道に乗り始めていた父親の期待を受けて、さらに法律家を目指して法律大学院へと道を進んでいきます。両親は彼に弁護士になることを期待したと言われています。まさに、真面目で勤勉な将来有望の青年、それがマルティン・ルターでした。
 しかし、彼の生涯は急展開を迎えます。有名なエピソードとして、法律家を目指して学び始めた一五〇五年の夏、両親のところに帰省した帰り道のシュトッテルンハイムの草原で激しい落雷にあい、死の恐怖さえ感じて、思わず「聖アンナ(当時の教会の守護聖人)、助けてください、修道士になりますから」と叫んだというのが残されています。これが事実であったかは定かではありませんが、彼は修道院に入る決意をします。
 いずれにせよ、マルティン・ルターが法律を専門的に学び始めて、両親の期待に沿って歩んできたこれまでの人生の挫折を経験し、むしろ自分の内面を深く見つめたということなのでしょう。その二週間後、マルティン・ルターは、法律の勉強を中断させて、エアフルトにあった聖アウグスチノ修道会に入ります。人生の突然に見える方向転換がここで行われたのです。

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ルーテル教会とは 

伝統あるプロテスタント・キリスト教会です
 キリスト教会には、東方教会(ギリシア正教やロシア正教など)と西方教会があり、西方教会には、大きく分けて、ローマ・カトリック教会とプロテスタント諸教会があります。ルーテル教会は、プロテスタント教会に属します。
 マルティン・ルターという人の名前、また宗教改革という言葉をお聞きになったことがおありかと思います。彼は16世紀の始めに、当時の教会が正しい福音信仰に立ち戻ることを聖書に基づいて訴えました。
 その基本は「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」という宗教改革のいわゆる三大原理です。お金とか見せかけの努力ではなく、神様の恵み、イエス・キリストの十字架と復活によってのみ、人は救われるというものでした。その声は、ドイツをはじめ全ヨーロッパに伝わりました。
 しかし当時のローマ・カトリック教会の大勢はこれを斥け、「ルターの仲間」と呼ばれ始めたこのグループは、「ルーテル教会」と呼ばれるようになったのです。その後、この宗教改革運動に続いて各地で新しいグループが生まれ、多くのプロテスタント教会が出来ていったのです。特にドイツから北欧にかけて広がり、その後それらの国の人々が新大陸発見とともにアメリカに移住し、アメリカ各地に自分たちのルーテル教会を形成していきました。

世界に広がるキリスト教会です
 ルーテル教会は、ドイツから北欧をはじめ、アメリカへと広がり、そこからアジア、アフリカ、ラテンアメリカなど、全世界に広がり、現在、約7000万人(ヨーロッパ5100万、アメリカ900万、アフリカ400万、アジア340万など)の人々が会員として、世界のルーテル教会に繋がっています。そのうちの5500万人が集まってルーテル世界連盟(LWF)を組織して、研究をしたり、教会間の協力をしたり、また難民救済など世界への奉仕をしています。

バッハの教会です
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 ヨハン・セバスチャン・バッハはルーテル教会の生んだ偉大な音楽家です。
ルターは、会衆の歌える讃美歌(コラール)を次々に作りました。バッハはその伝統の中でその会衆讃美歌を生かし、彼の教会音楽の中心に据えたのです。ルターの作詞作曲したコラール「深く悩みの渕より」を元にバッハが作曲した教会カンタータ第38番「深き悩みの渕より、我汝を呼ぶ」は有名です。

日本のルーテル教会
 1893年のイースターに九州の佐賀でアメリカからの2人の宣教師によって初めての礼拝が行われました。日本のルーテル教会はここに始まります。やがて宣教師たちを日本人が助けるようになり、日本福音ルーテル教会という形で、次第に独立した教会となっていきました。
 牧師養成のための神学校(1909)を熊本に設立し、以来、幼稚園・中学・高校・大学などの教育分野で、また社会福祉の働きでも多くの点で開拓者的な働きを示してきました。 1941年、時の政府の圧力で日本のプロテスタント教会が合同することとなり、日本基督教団(日本キリスト教団)に参加しましたが、戦後の1947年、教団を離脱し日本福音ルーテル教会として再出発しました。戦後の宣教を開始したその他のルーテル諸派と合同し、1963年新しい日本福音ルーテル教会を組織して現在に至っています。北海道から九州まで、全国に132の教会と、学校、幼稚園、老人ホームなどの施設をもってキリストの福音を証ししています。また、大学に社会福祉学科を持ち、社会での奉仕者を数多く送り出しています。

私たちの信仰告白
 初代教会の「イエスは主である」という告白以来、教会は信仰告白をいつも新たに繰り返してきました。それは神の前における信仰告白であるとともに、人の前での信仰表明でありました。
 異教社会の中で何世紀にもかかって、いわば自然発生的にかたちづくられていった「使徒信条」、4世紀の教会が直面した異端との対決の中で、正当信仰的立場を明らかにした「ニケア信条」、また5世紀の教会が表明した「アタナシウス信条」をもちいて私たちの信仰を告白しています。さらにルーテル教会独自のものとして、ルターによる「神の言葉にとらえられた良心」の決断にもとづく信仰表明に共鳴した諸侯・諸都市が1530年アウグスブルグ国会に提出した「アウグスブルク信仰告白」、ルターがわが子に対する信仰表明として書いた「小教理問答書」、牧師のための信仰の主要条項解説として書いた「大教理問答書」、開催されるはずだった公会議のために書いた「シュマルカルデン条項」があり、ルーテル教会の信仰の核心を示しています。

聖書ってなんだろう!
旧約聖書と新約聖書
 聖書は、旧約聖書と新約聖書からなります。これらは、翻訳が違うのではなくて、古い契約(旧約)と新しい契約(新約)ということで、神さまと人間との間の「契約」を指します。
 旧約聖書は、天地創造の出来事や、アダムとエバのエデンの園のお話し、ノアの箱船などの物語りから始まります。また、モーセの十戒のように神様から頂いた戒め(律法)も記されています。
 新約聖書は、イエス・キリストの誕生物語から、イエス・キリストのお話し、奇跡、その生涯、十字架上の死、復活、などの出来事が記されています。またその後の教会の成立、信仰指導の書簡、そして預言で終わっています。

信仰の手引書
 聖書には人間として守るべき事、律法が示されています。
 また、人間には罪(不完全さ)があり、自分の努力だけでは完全ではない。そのためにイエス・キリストが示された福音が与えられています。イエス・キリストのお話しに静かに耳を傾け、その十字架上でも人を愛し続けた本当の愛に触れ、わたしたちは新しい生き方を示されます。
 毎週日曜日や土曜日に、神様を讃美し、聖書に学ぶ礼拝のひとときをもっています。また、その生き方に基づき、社会福祉、奉仕、教育などを進めています。

新共同訳聖書
 最近では、超教派(エキュメニカル)運動といわれ、教会はカトリックもプロテスタントも一つになって世界の平和や自由のために協力しています。聖書も、「新共同訳」という共通の聖書が読まれています。

ルーテル教会とマルティン・ルター
 1517年にマルティン・ルターの宗教家改革によりドイツで誕生したルーテル教会は、ドイツだけでなく北欧にも広がり、国民教会となりました。その後、アメリカにも渡り、更にアジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどに至って今日全世界に存在するようになっています。
 マルティン・ルターの宗教改革について説明しますと、その改革は当時の16世紀のローマ・カトリック教会が正しい福音信仰に立ち戻ることを聖書に基づいて訴えたのでした。それは、神がイエス・キリストの十字架と復活によってのみ、私たち人間の罪を許し、人間はイエス・キリストにおいて示された神の恵に基づいて生かされていくことを強調した教えでありました。ここから、ルターの有名な言葉「聖書のみ、恵のみ、信仰のみ」という、宗教改革の三大原理が生まれました。
 この原理に基づく信仰と改革の参加を当時の全教会に呼び掛け、賛同した信仰の者たちと、それらの教会において、教義、制度、慣習の必要な改革を徐々に実施していきました。信仰上も、さらには政治的にも、対立の時代がしばらくつづき、宗教改革に基づく、ルター派の教会は、その後、ドイツから北欧に広がリました。

礼拝ってなにするの?
~神さまからのみことばを聴き、共に賛美し、祈りを捧げる~
 礼拝の中心は聖書と聖餐です。神さまのみことばを耳で聴くこと(見えないみことば)と、恵みの手段としての聖餐に与る(見えるみことば)が礼拝の中心になります。聖書を共に読み、説教という形で牧師が神さまからのメッセージをわたしたちに伝えてくれます。そして、パンとぶどう酒をもらいます(教会によっては月に1回や2回の教会もあります)。また、神さまに賛美と感謝を捧げることも大切なことです。ですから、わたしたちの礼拝では讃美歌を共に歌い、祈りを共にすることを大切にしています。ちなみに、わたしたちの教会では式文を用いて、礼拝を守っています。

カテゴリ: マルティン・ルター、ルーテル教会

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ルーテル教会とは 

ルーテル教会とは
Martin Luther
 1517年にマルチン・ルターの宗教改革によりドイツで誕生したルーテル教会は、ドイツだけでなく北欧にも広がり、国民教会となりました。その後、アメリカにも渡り、更にアジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどに至って今日全世界に存在するようになっています。
 マルチン・ルターの宗教改革は当時の16世紀のローマ・カトリック教会が正しい福音信仰に立ち戻ることを聖書に基づいて訴えたものでした。神がイエス・キリストの十字架と復活によってのみ、私たち人間の罪を赦し、人間はイエス・キリストにおいて示された神の恵に基づいて生かされていくことを強調した教えでありました。ここから、ルターの有名な言葉「聖書のみ、恵のみ、信仰のみ」 という、宗教改革の三大原理が生まれました。
 この原理に基づく信仰と改革の参加を当時の全教会に呼び掛け、賛同した同じ信仰を持つ者たちと、それらの教会において、教義、制度、慣習の必要な改革を徐々に実施していきました。信仰上も、さらには政治的にも、対立の時代がしばらくつづき、宗教改革に基づく、ルター派の教会は、その後、ドイツから 北欧に広がリました。

アメリカのルーテル教会
 おもに17世紀、ドイツ、オランダ及び北欧の諸国から、北アメリカ大陸の開拓者としてたくさんのルター派の教会員が移住しました。そのおもな入植地域は、ペンシルベニア、バージニア、ノスカロライナ、サウスカロライナでした。最初は、牧師がいなくても、信徒による独自の礼拝を守り、その後、牧師がドイツなどから派遣され、教会の組織も正式に整っていきました。
 移住者はドイツ、オランダ、北欧のデンマーク、スウェーデン、フインランド、ノルウェーからの人々であり、民族的背景の違い、言語の相違、それぞれの教会制度・伝統の背景もあり、はじめは同じ民族同志のルーテル教会を各地に形成しました。
 20世紀に入ると、それぞれの背景を継承しつつ、アメリカでのルーテル教会が成長し、合同がなされるようになり、1987年にはアメリカの3つのルーテル教会が合同して、アメリカ福音ルーテル教会 (Evangelical Lutheran Church in America)となりました。これらの歴史的な背景をもったアメリカのルーテル教会から、1892年に最初の宣教師が送られ、日本でのルーテル教会の伝道が開始され、日本福音ルーテル教会が形成されました。

日本福音ルーテル教会
 日本福音ルーテル教会の最初の礼拝は、1893年の復活祭(イースター)にアメリカの南部一致シノッドから派遣された宣教師シエラーとピーリーにより、九州の佐賀で行われました。これが日本でのルーテル教会の伝道の始まりです。
 伝道の手段としては、信徒教育のためにルターの著作による「小教理問答」の翻訳、またルーテル教会は「み言葉による礼拝」による教会形成を中心にするために「礼拝式文」の出版、伝道の担い手と日本人による教会組織の早期実現のために牧師養成、そのための神学校の創立が重要なこととして手掛けられました。
 初期の教会の歴史に於いても、伝道の業は教育事業とともに行われました。熊本には牧師養成と男子の青少年の教育を目的とした九州学院、女子教育を目的とした九州女学院、更には各地の教会の付属施設として幼稚園による幼児教育の分野での教育事業で貢献してきました。
 社会福祉の分野においても、熊本における慈愛園、東京での東京老人ホームを始めとして、開拓的働きをして、日本社会のために貢献してきています。
 先の戦争の時には、1941年に政府の圧力もあって日本におけるプロテスタントの合同(教会連盟的な合同)として、日本基督教団結成に際して第五部に参加しましたが、それは「アウグスブルク信仰告白及びその他の宗教改革信条に基づく教会の信仰を保持し教会としての働きを全うし得ること」を条件としたものでした。
 戦争の終了とともに、そのような部制は廃止され、1947年に旧ルーテル教会の牧師有志は熊本で臨時総会を開いて、教団離脱を決議し、日本福音ルーテル教会を再建する新たな出発をしました。
 1953年以来、在日ルーテル系ミッションの合同運動が起こり、フィンランド福音ルーテル協会、オーガスタナ・シノッドは合同し、さらには1963年には東海福音ルーテル教会も合同し、新しい日本福音ルーテル教会を発足させました。
 1969年、当時の議長・内海季秋氏のアスマラ発言を皮切りに、ルーテル教会は海外教会に依存せず、各個教会と全体教会事務局の自立を決意し、1974年にその目的を達成しました。1990年の8月の全国総会において、宣教百年記念事業計画が策定され、宣教開始の百年の節目の1993年には、熊本で宣教百年全国大会が「さあ、出ていこう。~宣教二世紀に向かって」という主題のもと開催されました。この大会には、全国から3000名の信徒、牧師が集い、宣教百年の歩みを感謝しつつ、宣教二世紀に向かって宣教の使命と決意を新たにし、「宣教百年信仰宣言」を表明しました。 宣教二世紀に向けて、日本福音ルーテル教会は各々の信徒、牧師が神のみ言葉によって強められ、個々の教会、教区がキリストのからだとして有機的に繋がりながら、更なる 「伝道する教会」への成長を目指しています。
 現在は新しい宣教方策として「パワーミッション21」を策定し、宣教力を結集させ、現代社会へ仕える教会をめざしています。これからは「パワー(power)」から「アワー(our)」へと、私たちの宣教の実現を目指していきます。

教義
 旧新約聖書が信仰と行為の唯一明確なる規範たることを主張し、信条として使徒信条、ニケア信条、アタナシウス信条、アウグスブルク信仰告白、同弁証論、大・小教理問答、シュマルカルド信条、和協信条を採用します。
 ルーテル教会は信仰の本質において一致すれば、その他の礼拝形式や教会制度・組織の一致を必ずしも求めませんが、礼拝における信仰生活の育成と、そこにおける神のみ言葉の重要性を強調するために一定の礼拝式を共用します。 また、信仰教育を重んじ、特に小教理問答を通して信仰と生活の訓練を図ることを伝統的に受け継いでいます。

カテゴリ: マルティン・ルター、ルーテル教会

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