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マルティン・ルターの生涯① 

ルターの生涯
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 マルティン・ルターは1483年にドイツのザクセン地方のアイスレーベンという小さな村で父ハンス・ルターと母マルガレータ夫妻の次男として生まれました。アイスレーベンはとても小さな貧しい村でマルティン・ルターがここで生まれ、最後にはこの村で亡くなりました。
 銅鉱山で働く父ハンスは、懸命に働いて、やがて成功して、溶鉱炉を四つも持つ鉱山経営者となり、人々の信望も厚く、町の参議にまでなっていきます。彼は社会的な上昇志向が強く、それだけに子どもたちにかける期待も大きくて、厳格な教育をしていきます。父ハンスは子どもたちには最高の教育をさせたいと願っていたと言われます。
 マルティン・ルターは、父の願い通り、五歳でマンスフェルトのラテン語学校に入ります。彼は熱心に勉学に励み、十四歳で大都市の学校に入り、更に勉強に励みます。人格者の教師との出会いがあったり、豪商の夫人であるコッタという人に認められて、彼女の知人から音楽を学んだとも言われています。マルティン・ルターの音楽への関心はこれ以後持ち続けられています。
 やがてマルティン・ルターは、十八歳の時に、ドイツでも最も古くて有名だったエアフルト大学に入学します。ここで哲学をはじめとする勉学に熱心に励み、優秀な成績を収め、事業が軌道に乗り始めていた父親の期待を受けて、さらに法律家を目指して法律大学院へと道を進んでいきます。両親は彼に弁護士になることを期待したと言われています。まさに、真面目で勤勉な将来有望の青年、それがマルティン・ルターでした。
 しかし、彼の生涯は急展開を迎えます。有名なエピソードとして、法律家を目指して学び始めた一五〇五年の夏、両親のところに帰省した帰り道のシュトッテルンハイムの草原で激しい落雷にあい、死の恐怖さえ感じて、思わず「聖アンナ(当時の教会の守護聖人)、助けてください、修道士になりますから」と叫んだというのが残されています。これが事実であったかは定かではありませんが、彼は修道院に入る決意をします。
 いずれにせよ、マルティン・ルターが法律を専門的に学び始めて、両親の期待に沿って歩んできたこれまでの人生の挫折を経験し、むしろ自分の内面を深く見つめたということなのでしょう。その二週間後、マルティン・ルターは、法律の勉強を中断させて、エアフルトにあった聖アウグスチノ修道会に入ります。人生の突然に見える方向転換がここで行われたのです。

カテゴリ: マルティン・ルター、ルーテル教会

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